都市コレ – 001 「get rid (orange & blue)」


【都市コレ】

TOMO都市美術館では開館以来、主にアーティスト「トモトシ」の作品を常設展として紹介してきました。それに加え今後は、都市空間に介入するアーティストの作品を広くコレクションし、アーカイブ化するプロジェクトを進めていきます。TOMO都市美術館のメンバーが月ごとに2作品を選定し、それらの作品を中心にアーカイブ作業と展示紹介をしていきます。第一回目は、トモトシの『The Big Orange Box』と秋山佑太の『地蔵堂修繕 』を展示紹介します。

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都市コレ 001 「get rid (orange & blue)」

展示作品・『The Big Orange Box』トモトシ、
『地蔵堂修繕 』秋山佑太

展示期間・2023/3/11〜2023/4/8
※3/12以降は予約制、希望日時を以下にご連絡ください。
電話 : 080-3057-9642 – メール : tomo.museum@gmail.com

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ーふたつの作品を思考して書くー
『The Big Orange Box』と『地蔵堂修繕 』
(文責・秋山佑太)

1.『The Big Orange Box』

トモトシ自身が、オレンジ色のゴミ箱を転がしながら東京の街中を歩きまわります。そして、人々からゴミを回収していく様子を記録したビデオ作品です。広場や路地や電車の中など、東京の中でも人が多く滞在する場所を巡っていきます。トモトシ作品の多くは、皆の知っている東京が舞台になっています。渋谷のハチ公前や代々木公園、国立競技場前など、誰もが東京に来てとりあえず行く場所で撮影されています。いわゆる「お上りさん」(地方から東京に出て来た人を揶揄する言い方)が始めに行く場所です。トモトシ作品にとって撮影場所は、映画の主演者の様なものです。トモトシが記録した人々の振る舞いは、撮影場所を間違えば撮影できません。東京の中でどの場所を撮影場所に選ぶかで、トモトシによる演出の中核は決定しています。

本作品は、COVID-19によるパンデミック直前の東京で撮影されました。トモトシは積極的に海外からの旅行者に話しかけてゴミを回収します。世界的に見ても日本の都市空間は綺麗だと言われています。街中にゴミが落ちていても次の日には完璧に清掃されています。しかし不思議な事に日本の都市空間にはゴミ箱が少ないとも言われています。その裏には、夜間や早朝に働く清掃員の存在があります。そしてもうひとつ、日本人の多くは、自身のゴミは自宅に持ち帰り処分する人が多いという理由があります。街中にゴミ箱が沢山あり捨てる機会があれば捨てたいが、ゴミ箱が見つけられないので自宅や職場に持ち帰り処分しているのです。そこに、トモトシはゴミ箱を転がして人々の前に現れます。そして優しくほほ笑み「そのゴミ捨てましょうか」と囁きます。天使の姿をした悪魔の様です。

私はトモトシを「笑うセールスマン」的なアーティストだと思っています。わるく聞こえるかもしれませんが、私なりにアーティストとしての賛辞を呈しているつもりです。優れたアーティストは往々に、人間の倫理に反する欲望や情け無さを炙り出します。トモトシには最初から脚本があり、その画を撮るにはどんな撮影場所を選べば良いか分かっているのです。笑うセールスマンの喪黒福造が、誰に近づきどの様にセールスすれば良いか分かっているのと同じです。撮影場所を選び、脚本通りひたすら同じアクションを起こす、するとトモトシの思う通りに人々はリアクションします。これがトモトシの演出テクニックです。トモトシ作品と笑うセールスマンが共通してる点はまだあります。作品映像を観ている観賞者へ対するトラップです。笑うセールスマンを観ている観賞者は、喪黒福造に騙された登場人物を他人事だと笑って観ています。しかし実は、その観賞者自身も同じ立場にあったり同じ欲望を抱いていたりするのです。トモトシ作品と笑うセールスマンは似た構造になっていると私は思っています。

それに加え、本作品において着目するべき大きなポイントは、ゴミというモチーフを扱っている事です。本作品より数年前に制作されたトモトシ作品に、貨幣をモチーフに扱った作品があります。路上や公園でお金を売るというビデオ作品です。トモトシにより値付けされた一万円札は、折れて見た目が美しくないという理由で九千円程の値段で売られています。人々は当然その一万円札を買います。トモトシの想定していた通りのリアクションをするのです。お金というモチーフが、人間の倫理に反する欲望や情け無さを炙り出すのです。本作品においてのゴミというモチーフは、この一万円札と同等の扱いがされています。共に「演出の装置」として扱われているのです。私は常に貨幣と廃棄物は似ていると考えています。だから、これらが類似する「演出の装置」だと発見したのです。そしてまた、私自身も貨幣と廃棄物をモチーフとした作品を制作しています。

2.『地蔵堂修繕 』

その地蔵堂は、福島県いわき市の海に面した街「小名浜」にありました。一体の地蔵が鎮座する建屋にしては大きく立派な御堂でした。しかし、2011年の震災によって地蔵堂は傾いてしまいました。傾いた御堂から地蔵は近くの寺に移されてしまいました。御堂の門は閉じられ、台座の上に像が無い日々が続きました。そして、2016年に土地の管理者の判断により、地蔵堂は解体が決定したのです。私はそのタイミングでこの建物と出会いました。

現代の日本において、建物を建てる際には地鎮祭と言われる儀式が執り行われます。しかし建物が解体される際に、人間と同じく御葬式の様な儀式を行う事は稀です。何故でしょうか、理由は沢山あり複雑です。それでも、半ば無理矢理に言ってしまえば、建物の存在意義が単純化し「もの扱い」されているからです。要は「都合良く使える建物だけあれば良い」と皆が思っているのです。不要なものは簡単にゴミとなります。中身の無くなったポテトチップスの袋を大事に取っておく人など殆どいません。それとと同じ事が、建物で起きているのです。建物を新しく建てる時には、価値がある建物の為に儀式を執り行います。しかし、取り壊す時には、ささっと解体業者に任せて壊します。これには、何か違和感があります。建物もポテトチップスの袋と同じ扱いなのです。貨幣の様に、国家の保障や、金や銀の後楯は無いのです。

貨幣をモチーフにした作品が私にも幾つかあります。そのひとつが、DIYでコインを製造する作品です。街中に落ちているアルミ缶を日々少しずつ集めます。そして、集めたアルミ缶を七輪で溶かします。魚や野菜やを焼く、あの七輪です。魚や野菜を焼く様なテンションで溶かしたアルミを使い、自作のコインを製造します。国家の保障も、金や銀の後盾も無い、DIY精神で製造した貨幣にどの様な価値が付くか実験しているのです。アルミ缶はポテトチップスの袋とは異なり、再利用し易やすいゴミです。材料としての価値が高いゴミは、この社会の中では「資源ゴミ」と言われています。しかし、ポテトチップスの袋も本当にただのゴミなのでしょうか。

建物の御葬式を執り行うとしたら「どんな儀式なのだろうか」と考えていました。そんな時期に「小名浜」で地蔵堂と出会ったのです。そして、この御堂を私なりに供養しようと考えたのです。供養にあたり震災以後ずっと傾いていた御堂を地元の人たちと一緒にロープで引っ張り、傾きを直しました。そして、筋交という木製の部材とステンレスワイヤーで建物を補強しました。傾きを直す事、そしてもうひとつ、私が供養にあたり行った事があります。それは、人間の死化粧の様に御堂に化粧を施す事です。どんな化粧を施したか説明するには、私の体験を話すのが良いと思います。地蔵堂があった「小名浜」にはじめて訪れた時の話です。

はじめて訪れる土地では、先ず神社や寺を巡ります。その土地の人々が大切にしているモノが、神社や寺で発見できるからです。その次に、金物屋や道具屋に立ち寄ります。いつもの様に「小名浜」でも、ひと通り神社と寺を巡った後に金物屋に向かいました。その金物屋は漁港のすぐ側にありました。店の中では、その土地固有の道具や材料がないか物色します。幾つかの珍しい道具や材料を見つけます。その中のひとつに、見たことの無い珍しい塗料をみつけました。東京では見たことの無い「真っ青なペンキ」です。いままで見たことのない鮮やかな青い塗料でした。

それから一月後に再び「小名浜」を訪れます。前回と同じく神社や御寺を巡ります。その間に忘れていた事がありました。一月前に神社で感じていた違和感を思い出したのです。神社の鳥居は普通は赤いはずです。しかし「小名浜」にある神社の鳥居は青いのです。2回目の訪問でその違和感に気付いたのです。この青い鳥居は、金物屋で見つけた「真っ青なペンキ」で塗られているのではないかと気付いたのです。そしてゆっくりと、神社の青い鳥居をくまなく観察すると、鳥居の裏に「○○造船所奉納」と記されていたのです。「これは!間違いない!」と声を上げました。

これは私の仮説であり妄想です。その「真っ青なペンキ」は、船底を塗る塗料であり。鮮やかな青色は海の色であり空の色であり。その青は、「漁村にとって象徴となる色」である。そう思ったのです。そう考えると、神社の鳥居も船底と同じ青で塗られている意味がみえてきます。すぐに神社を出て金物屋に向かい「真っ青なペンキ」を購入しました。そして、地蔵堂の化粧として「真っ青なペンキ」を塗ったのです。

地蔵堂は、最終的に供養を終え、私自身が解体しました。そして部材を譲り受け、今も私のアトリエで保管しています。やはり貨幣と廃棄物は似ています。人間は常に、どんな事物に価値があり、また価値が無いのか判断できず苦しんでいます。そういった価値の不確定さを揺るがす装置が、貨幣であり廃棄物だと思うのです。貨幣と廃棄物は、対局に存在している様で似たもの同士です。数億ドルの貨幣と、ゴミ扱いされてきたアート、それらの価値が逆転してしまう。人間が創り出す世の中ではそんな事も起こり得ます。

3.「ふたつの作品を思考して書いてみて」

現代のアーティストは、自身が制作した作品であっても、自身と切り離し客観的に観察する事が求められています。その様なトレーニングを全アーティストがする必要があるかと問われれたら、必要はありませんと答えます。しかし、ゆっくりと作品を観察し思考する事でしか発見出来ない事や書き留められない事項はあります。

今回ふたつの作品を思考して書いてみましたが、そこから発見は沢山あったと思います。ふたつの作品の視覚的な肌触りは全く異なるものです。しかし、態度や視座は似ていると感じました。人々が不要だと判断したものを引き受け、それによって特異な立場を獲得し、既定された人間の価値観を問い直す。そんな作品であるのではないでしょうか。

この5年近く、私とトモトシがふたりで対話してきた経験が、この「都市コレ」をはじめるきっかけになっています。TOMO都市美術館という場所を作ったのも同じ理由です。私たちは美大を出ていません。だからといって、アウトサイダーアートと括られる事も望みません。私たちが勝手に私営の美術館を作った意義を「都市コレ」を通じて伝えていけたらと考えています。

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会期中にお越しいただいた平岡希望さんに展示内容を記事にしていただいております。ありがとうございます。
トモトシさん・秋山佑太さん『都市コレ001 「get rid (orange & blue)」』&常設展@TOMO都市美術館

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